コンセプチュアルなアート(?)

category:英語と日本語
tag:変な英語

今、本読んでいる。大分昔に買った本だろうが、読まないまま終わっていた本を発見したのである。文庫本だから、引越しの荷物になるより売っちゃった方が良いという発想なのだが、それでも、読み直したりしません?

論理表現のレッスンは、そんな風にして週末から読書三昧していて、「あら、全然読んでいないじゃん。」と発見した本。

「論理表現」なんて硬い感じだが、例題が多くてとても読みやすいのでおススメ。
この本の中で、言葉には「観察語」と「論理語」があり、論理語があたかも観察語のように扱われると、議論がかみ合わなくなるという事について触れている。

「観察語」とは、いちいち確認しなくても、見てわかるような事。それに対して、「論理語」はその言葉が何を意味しているか、定義しないと話がかみ合わなくなる語。


例えば、「最近の若い者は我慢が足りない。直ぐキレル。」「いやいや、我慢ばかりして、エネルギーの出し方をしらないから、キレルのです。」という話の場合、「我慢」の定義がはっきりしないと、何時までたっても平行線で終わる。

で、思ったのが、表題の「コンセプチュアルなアート」という言葉。

コレって、いったい何ものなの?と言うのが、私の常なる疑問。


そもそも、「コンセプチュアル」ではないアートってあるのかい?と思うのである。

ミケランジェロの作品だろうと、葛飾北斎の作品だろうと、コンセプトが存在し、その表現が作品ではないのかなと。

コンセプチュアル・アートというジャンルは、従来の対象を描くという形よりも、そのコンセプトが前面に出てきているだけで、他のアートだって、コンセプチュアルに作られているに決まっているだろうと思うわけである。


そんなわけで、アート系の友達が「コンセプチュアルに作品を作る事が大切。」なんて言う度に、この疑問を投げかけてきた。


で、話はたいてい噛み合わない。


その理由を明快に示してくれているのが、この論理表現のレッスン


「コンセプト」とか、「コンセプチュアル」という言葉は、明らかに理論語で、まず定義しないと、話がわけわからなくなるのだ。

ま、この定義を試みた事ないわけではないが、どうもアート系は論理表現できない人多い。



ちなみに、コンセプチュアルアートと日本語で言っている場合、だいたいコンセプチュアル・アートを指していて、基本的には、「な」入れるの止めましょうという問題。

コンセプチュアル・アートは固有名詞。

コンセプチュアル・アートのウンチク本はコチラ←




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2008年11月20日

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