
私自身は、彼のウダウダした世界と機知に富んだ会話は好きだし、アニー・ホールも以前観ているのだけれど、今回はそんなに入り込めなかった。
前々日に、おくりびとを観、その前に画家と庭師とカンパーニュを観ていて、「人生のじんわり」感を持っていたので、どうも彼の「ウダウダ世界」があまりにも卑小でどうでもよく感じてしまったのだ。
卑小と言っても、アニー・ホールに描かれた世界はあるいみ誰にでもあるような、恋愛や性や厭世観。それがちょこっと大げさに描かれているに過ぎない。
特に厭世観の部分では時折自分も襲われるので共鳴するところも多いのだが、今回はどうもそうはいかず。
別に世の中が大好きになったわけでもないし、「捨てたもんじゃない」という境地に至ったわけでもないのだけれど、それに近い「清々しさ」みたいなものを、「おくりびと」と「画家と庭師とカンパーニュ」で味わったせいで、「ウダウダ」感をわざわざ観たいという気持ちにならなくなったのかもしれない。
おくりびとの中では、雄大な庄内の景色と「安らかな旅立ち」の手伝いをする「所作」の美しさが、なんともいえない「生の力」を描き出している。生きるという事に肯定的な答えが提示されているわけではないけれど「形」を通じていつか見出せるのではないか、納棺師の所作にはそんな思いさえ感じた。
画家と庭師とカンパーニュは、ダニエル・オートゥイユ扮するパリの商業画家"キャンバス"と、国鉄を引退し庭師として働くジャン=ピエール・ダルッサン扮する"ジャルダン" 2人が織り成す物語。フランスの田舎町の穏やかな日だまりと、緑豊かな自然がとても心に残る映画。
歩んできた道の違いが生み出す価値観や話題の違いなど、どこか二人の会話にはいつもぎこちなさがある一方、かつての「遊び仲間」として思い出を共有している絆がある。
この映画の場合は、「芸術」と「労働者」というフランス的テーマが2人の人物を通じて描かれている。もしくは「都市」と「田舎」とも言えるだろうか。
テーマ自体は大きいけれど、それが2人の登場人物の小さな世界の中で片鱗を覗かせる程度に、淡々と描かれている。見終わった後になんとも言えない余韻の残る作品。
あぁ、何でもない人生って言うのも良いもんだな、そんな気持ちにさせられる。
こうした映画を観た後だと、どうも「あんなに好きだったのになんで別れちゃったんだろう、ウダウダ。」というのが、どうも「どうでも良いじゃん、そんな事」になってしまう。
実際に自分に起きたら「どうでもいい」わけ無いし、そういう小さい事を「どうでもいい」と言っていると、そのうち何にでも無感動になってしまうのだろうけれど。
それでもね、やっぱりちょっと思う。「なんか、世の中捨てたもんじゃない」そんな作品が良いなって。
シルバー・ウィークも終わり。少し前向きに生きていこうと思った秋の夜。



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