この習慣、アメリカにはない。フランスでも気づかなかったから、あるとは思えぬ。日本独特の習慣ではないかと思う。
そういうわけで、私はついつい忘れてしまいがちで、人が流す音姫や水の音で「あっ」と気付く私。
そもそも、この習慣がいつ頃始まったのかは知らないけれど、小学5、6年生だか中学という多感な頃、クラスメートから「水流しなよ。」と指摘されてから、自分も始めた。
それまで、人の音など気にした事無かったが、指摘によって「人は私の音を聞いている」と気付き、流すようになったのである。
ニューヨークで生活するようになって、皆そんな「他人の音」など気にしないから水など流さなくなった。
初めのうちは、あちこちから聞こえる音に戸惑い、自分も消さない事に戸惑っていたけれど、そのうち慣れてしまった。
慣れてしまうと、今度はこの「音消し」のマナーがとても不思議に思う。日本に旅行に行った友人が、「トイレにある、あの機械は何物?」と言っていたけれど、その気持ちもわかるのだ。
だって、人の音、わざわざ聞いているの?
もちろん、聞いていなくても、一度この習慣に慣れてしまうと、聞こえてくる音が「気になる」のも確か。私自身、異文化に慣れていない頃はそんな風に感じたから。
本当だったら「そんな事いちいち気にしてないで、おおらかに。」とも言いたいところだけれど、ここまで普及した「マナー」になってしまうと、それも難しいように思う。
まして、これって「人の目を気にする」日本人的性格形成に根付いているように思うし。
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トイレには文化&社会事情が出るのだよね。アメリカのあの隙間だらけのドアトイレは落ち着かなかった。
この前チュニジアでは、紙がなかった。代わりなのか、蛇口とホースがあった。トルコでは水を流す所がなくて、変わりに蛇口とバケツが置いてあった。。。。
などなど。
今度またトイレについて書こう。
アカデミックでしょ ;>
>アメリカのあの隙間だらけのドアトイレ
うん。覗こうとしなくても覗ける感じだものね。確かに落ち着かない。でも、あれに慣れると日本の密室が怖い。
タイの地方に言った時は、紙がなくて、バケツがあった。
紙がある場所でも、流さないでゴミ箱に捨てるよう書いてあったような気がする。。。