成人式に思うこと

category:私日記
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今日ニュースを見ていたら、成人式で暴れる人たちが映し出されていた。「式を滅茶苦茶にする礼儀の知らず若者」という報道のされ方だったけれど、ま、そうだわな。


私自身は、「成人式?行ってなにかあるの?」という心持だったので、行かなかった。当時地元に住んでおらず、3時間程度で帰れたとはいえ「面倒くさい」気持ちの方が勝ったし、会いたい友達には会いたい時に会うから、別に「この機会に」という気持ちも無かった。

だから、こういう「暴れる人」を見ると、だったら行かなきゃいいのに。と思ってしまうが、まぁ、色々人は人で考える事があるのだろう。

なので、今日は成人式について、私的な考えを述べたいと思う。成人式で暴れるっつーのは、まぁ、彼らなりの「社会への抵抗」の見せ方なのかなとも思う。

成人式なんて、たいていどこもつまらないし、年配の人が来て「努力すれば報われる」「辛抱しろ」とかそういう訓示を垂れる機会である。

「面白くさせよう」とか「皆に楽しんでもらおう」という式ではない。

だから、そういう式にしようぜ!と思う人が、つまらない式を自分流に(かなり極度に自分勝手に)「面白い式」にしようとしているのだと思う。「自分はまだ幼稚だ」と言っているようなものだけれど。


で、こういうことをして、テレビで「ダメな若者」の烙印を押されて一件落着になるけれど、つまらない式を延々と毎年続けている事は問題にならない。

参加者全員くっちゃべって、誰も話なんて聞いていない、その式に税金がつぎ込まれている事は問題ではなく、科学技術や芸術方面で「金銭的」結果が出せるか否かは問題になる。


あ、話がそれそうなので、戻す。


「式は面白そうでないから出ない」とした私としては、「出た以上話は聞け。つまらんと思ったら寝てもいいが、話を聞こうとしている人間の邪魔はするな。」と思うのである。

つまり、べちゃくちゃ友達とずっと話すのも、壇上に上がって市長のつまらん話を遮るのも、程度の違いこそあれ、「人の邪魔をしている」のである。


「式なんてつまらなーい。」と思ったら、「出席しない」か「2時間なり2時間じっと我慢する」かのどちらかの選択である。そういう潔い糸をピンとどこかに貼るのって「大人」に必要だと思うのだ。


私は、「式」という考えは極めて好きなのだ。何かの「区切り」、非日常の空気、そうした「けじめ」みたいなものが、とても好きなのだ。だから、どうも「式」の理想像みたいなものがある。

でも、成人式にしても、高校以降の卒業式にしても、どうしてもこの「けじめ」がキッチリ表現されていないし、主催者側も、どこをどうしたら、それが表現できるのか、わかっていないというか、やる気がない人たちも多くて、「そんな式なら、出なくて良いや。」という気分になってしまうのである。

そんな無価値の「式」に何の意味があるのだと思ってしまうのである。


だから、つまらん式を延々脈脈と続けている方々に言いたいのは、話も聞かない連中のために、それでも何かをしてあげたいというのなら、もうパーティ形式にしてしまえば?という事。

聞いてももらえない話をするために、どこぞの先生を呼んだりするお金で、ジュース一本とスナックぐらいは出てこないのかしら。


以前、成人式で講演ほど嫌なものはないと、作家の誰かが行っていたけれど、「聞くほうも嫌」「話すほうも嫌」なら止めちゃえ、と思うのだ。これこそ、事業仕分けされるべき。

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2010年01月11日

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